2004年2月22日(日)

「『モモ』を読む シュタイナーの世界観を地下水として」(子安美知子・朝日新聞社)

「モモ」を読む―シュタイナーの世界観を地下水として

ミヒャエル・エンデの「モモ」をシュタイナーのアントロポゾフィー(人智学)の観点から読み解く本。今まで読んだ本がどちらかというとシュタイナー教育そのものに焦点を当てていたのに対して、この本ではその哲学であるところのアントロポゾフィーそのものが顔を出していて(ちなみにシュタイナー教育ではアントロポゾフィーそのものを教えることを固く戒めている)、初めてその哲学の片鱗に触れたとも言える。そのものを感想として書くにはまだまだ知らないことがたくさんあるので、とりあえずひとつだけ。

本の中で、アントロポゾフィーの修行のひとつとして「一日の回顧」が何度か語られていたのがとても印象的だった。「モモ」にも床屋のフージー氏が灰色の男に「あなたには、毎晩ねるまえに十五分も窓のところにすわって、一日を思い返すという習慣がある」と指摘される部分で出てきている。今日一日のことを時間を逆に追って思い出してみるということなのだけど、試しにやってみるといつもいつも同じように過ぎていく朝の通勤の情景なども、きちんとその日の情景として思い出せることが意外だった。例えばそれは、朝乗った電車に乗り合わせていたひとがどうだったとか、そういう後から考えればまず思い出さないようなことまで、じつは覚えている。これ自体、アントロポゾフィーと関係なくてもいいことのように思えるので、しばらく続けてみようと思う。

ともあれ「モモ」ってそれほど奥深い話だったけ、というのがいつわらざる感想。読んだのが小学5年生のときだしそれ以来「モモ」を読むことはなかったから、とてもよかった、という以上の感想がなかったのは当然かもしれないけど、それは単にいまはまだ思い出せないだけかもしれない。20年前に何を考えて「モモ」を読んでいたのかということも含め、もう一度いま読み直してみようと思う。