読書日記(ぬくい山のきつね)
by 鈴木 宏枝
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ぬくい山のきつね(ぬくいやまのきつね)
原題(N/A)読んだ日2001.4.25
著者最上一平(もがみいっぺい)訳者(N/A)画家(N/A)
出版社新日本出版社出版年月日2000.11.25原作出版年(N/A)
感想 正統派?古典的?生真面目?教科書やテストの問題に出てきて、「このときの主人公の心情を述べなさい」とか「どうしてこのような行動をとったのでしょう」とか言われてしまいそうな文体・作風である。子供に読ませたいというよりは、別に対象読者がいそう。
 で、最初はとっても読みにくかったのだけど、心にヒットする作品がいくつかあって、不覚にも「深沢の客」ではうるうるしてしまった。童話というより老話か(いい意味です)。
 ふるさとで死にたいとか、つれあいに先立たれた独居のおじいさん、おばあさんとか、一言でいえてしまうものを、一つのストーリーにするのは、実はすごく細やかかつ力のいる作業だと思う。
 表題の「ぬくい山のきつね」は、『おこんじょうるり』を思い出させるキツネとおばあさんのふたり暮らしの話。『おこんじょうるり』と違って、キツネは、先立たれたつれあいの姿をしていて、ばあさんはそれをキツネと見破りつつ、うれしくてだまされ続ける。そのはかなさ、あやうさ、せつなさ。つれあいの死から話が始まったことから死と別離はたえず予感されるのだけど、その中でこそのやりとりがいとおしいと思う。「おら山腰好きだぁ。どごより好きだもの。春になれば、木の芽出るし、夏になればカッコー鳴ぐ。秋ともなれば、ハア、山は錦になって、ウン。冬は冬で……。ンー、冬は寒いだけだ。アハハハ」(p.99)こんなセリフが生きるのも、「ンダンダ。冬は寒い。雪は冷てえ。アハハハハ」と応じる対話者があってのこと。方言の力も、言うまでもなく大きい。
 例えば、沖縄のオババも、この作品に出てくるおばあさん群に近しいのだろうか。「深沢の客」では、とうに老人ばかりになってしまった集落に、都会に住む娘が赤ちゃんを見せにやってきたときの話。集落のおばあさんたちは寄り合いのように集まって、赤ちゃんをめで、涙さえ浮かべながら、抱っこする。そのおばあさんたちみんなが、やはり、すごくかわいくて、悲しくて、強い。


鈴木 宏枝
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