読書日記(モンスーン あるいは白いトラ)
by 鈴木 宏枝
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モンスーン あるいは白いトラ(もんすーんあるいはしろいとら)
原題Monsun oder der Weisse Tiger読んだ日2000.7.3
著者Klaus Kordon(クラウス・コルドン)訳者大川温子画家(N/A)
出版社理論社出版年月日1999.7原作出版年1980
感想 分厚さに、最初はおののいたが、実におもしろくて、あっというまに読んでしまった。インドという謎に満ちた国と、交差する人生、もろい命と強い命、友だちという永遠の児童文学の命題、男女。ストーリーラインがたくみで、ぐいぐいひきこまれた。ゴプーの愛される性格は、一種の天才かも。
 昔、子供の頃インドに行ったことを思い出した。むっとする気候、物乞い、大きな目、アグラ城で見た大きな蜂の巣、北と南で全然ちがう風土。圧倒され、私には入っていけない国だった。では、今なら・・・?
生きるということがこんなに切実にたくましく、汚く、明るい話は初めてだ。
 インドを舞台にしつつ、インドが主人公そのものになっている。カースト制、貧富の差、外国人観光客、宗教、男尊女卑の観念が入り混じり、南部のマドラスと北部のボンベイでは、気候も言葉も違うし、大きな経済格差がある。あらゆる状況が混沌とした「矛盾の大陸」インドでなければ、ゴプーとバプティの物語は生まれなかったし、インドでなければ、ゴプーとバプティの人生がこのように交差し、変化していくこともなかっただろう。インドという国のもつ圧倒的な迫力と、テンポのよいストーリーライン、生き生きとした登場人物にはぐいぐいとひきつけられ、もろい命と強い命、人間どうしのつながりの描かれ方に、心を揺さぶられた。
 「たたかう農民」カーストのゴプーと、大金持ちの息子バプティ・チャンドラハスは、ふとしたきっかけで出会った。バプティは、学校では仲間はずれにされるし、大好きな姉のアエシャは、もうじき、親の決めた婚約者と結婚してしまう。友だちがほしい。一緒に遊んだり、話をしたり、自転車に乗ったりできる友だちがほしい。バプティの身を焦がすような願いは切実だった。そして、「ゴプーを自分専属のボーイにしてもらい、友だちになる」という考えがひらめく。ゴプーさえいれば、きっと何もかもうまくいくにちがいない!
 しかし、チャンドラハス邸で、バプティは、お金で雇った身分違いのボーイと友だちになることはできないのだと思い知り、ゴプーも、贅沢な暮らしとひきかえに、自分自身や自分らしさを売ることに、苦しい気持ちを抱えはじめる。
 だが、ゴプーとバプティは、路上の世界で再び向き合うことになる。物語は、シャンジー少年や、ヘビ使いの賢者マンガー、リッサ、極貧のネズ公たちとの出会いがからんで、思いもかけない展開を見せていく。ヘビのカーマと、ゴプーとバプティが、観光客の前で、どんなに生き生きとした「仲間」であったことか。ひもじさや苦しさも、楽しさや喜びも分かちあっているか。それはつかのまのハネムーンのようですらある。やがてモンスーンの季節がやってきて・・・。
 二人は、それぞれふとした瞬間に、お互いの近さと遠さを感じる。身分の違いや貧富の差は、決しておめでたくのりこえられるものではなかった。だが、様々な状況下で人間らしくあろうとする少年たちの近さと遠さは、日本の読者である私たちからの「遠さ」(インドという国の遠さ)と「近さ」(少年たちへの親近感)にも通じていく。
 愛される天才のゴプーは、何があっても動じずに、自分らしく淡々と生きている。同時に、ゴプーのことが好きでたまらないバプティの葛藤に、私はリアリティを感じた。たった八ヶ月が、ゴプーにとってもバプティにとっても、どんなに密度が濃く、「生」を感じる日々だったことか。インドという混沌の中での強烈なサバイバルと、ゴプーとバプティ(とシャンジーたち)の絆。『モンスーンあるいは白いトラ』は、ずっと大切にしたい一冊になった。


鈴木 宏枝
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