読書日記(モイシェとライゼレ)
by 鈴木 宏枝
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モイシェとライゼレ(もいしぇとらいぜれ)
原題Mosje en Reizele読んだ日2002.4.1
著者Karlijn Stoffels(カーリン・ストッフェルス)訳者大川温子画家(N/A)
出版社未知谷出版年月日2002.2.28原作出版年1996
感想 ナチ台頭下のポーランドで、孤児になり、コルチャック先生の孤児院に入ることになった13歳の少年モイシェ。金髪でイディッシュもしゃべれず、自分がユダヤ人であるという意識はあまりなく、最初は、コルチャックにも集団生活にも反発している。
 「小さなバラ」の意味を持つライゼレも、コルチャックの孤児院の少女である。これまで施設にいた時間の長さを測るかのように長い三つ編みが印象的で、子どもたちの中でも、お母さん的な役割を果たしている。
 モイシェの一人称で話は進む。1995年のテル・アビブで、既に老境に差しかかったモイシェに「コルチャック先生の家にいたもと孤児が集う番組に出る」という依頼が来るところから始まり、物語は一気に戦争前にフラッシュバックする。回想ではあるけれど、少年モイシェは(完全にではないが)unreliable speakerなので、彼が言っていることの裏側にある苛立ちや本心に静かに耳をすませながら読み進めることになる。施設にいる間、彼が、子ども裁判や生活や仲間の子どもたちやユダヤ教のしきたりやコルチャックのことを、どう思っていたのか。うんざりしながら、それが実は蜜月だったことが分かる。
 少年の幾重にも重なる思いと、暮らしになじんでいくありようが驚くほどリアルで、ライゼレへの想いと、コルチャックの施設を出る中盤以降の危険とすぐ隣り合わせの歩みに、後半はぐいぐいとひきつけられて一気読み。ライゼレの歌の歌詞をめぐって、そのためにこそ生きようとしたモイシェの突っ張った気持ちと、再びゲットーでライゼレに出会ったときの、二人の感情の大きな揺れには涙が出そうになった。先の読めない展開とラストの感動に、本当に読んでよかった一冊になった。
 『彼の名はヤン』や『朗読者』も思い出してしまった。厳格なユダヤ教の家に生まれたわけでもないモイシェの中にある「ユダヤ」と彼自身がどう折り合いをつけるのか。いつのまにか流暢になっているイディッシュ、豚肉を吐く場面、割礼。宗教も戦争も、つまりはやはり「個」をめぐるすべてなのかもしれない。
 「伝説」を求めてコルチャックを称えるマスコミを憎み、あくまで自分自身―コルチャックの関係で、その偉大と言われる教育者(作家・医者)を見つめたモイシェのまなざしも印象的である。


鈴木 宏枝
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