みねこさんの読書日記(ミルクウィード)
by みねこ
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ミルクウィード(ミルクウィード)
ISBN:4-652-07745-9
ID:1105236285 |
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原題 | MILKWEED | 読んだ日 | 2005.1.4 | ||
著者 | Jerry Spinelli(ジェリー・スピネッリ) | 訳者 | 千葉茂樹 | 画家 | (N/A) |
出版社 | 理論社 | 出版年月日 | 2004.9 | 原作出版年 | 2003 |
感想 | ポーランドのワルシャワゲットーが舞台のフィクション。 スピネッリが史実を検証しつつ創り出したであろう少年と彼をとりまく人々の物語にすんなり感情移入できないのはどうしてだろう。 この物語では、前後の背景など何も説明されずに、ゲットーで孤児たちの世話をし、運命を共にしたコルチャック先生が、読者に周知の人としていきなり固有名詞で登場する。少年は旧市街に小さい体を生かして、≪持ち込みや≫として侵入、獲得してきた食料を彼のところに届け続ける、という設定だ。 このエピソードは物語全体の中で、さほど重要な要素ではない。コルチャック先生のところに食料を運びこんだがために少年の運命が大きくかわるような出来事があるわけでもなし、常に寛容で笑顔で少年に接するコルチャック先生の人となりにふれて、彼が行動パターンを変えたり、何か考えはじめたりするわけでもない。ここでこの周知の固有名詞を、物語の背景に据えてしまうスピネッリに違和感を覚える。 読後、スピネッリが今、ワルシャワゲットーを描こうとした真意に触れたとは思えなかったのは何故だろう?両親を知らず、家庭も知らない、ジプシーの孤児である少年の面倒を見るウーリーの存在は魅力的に描かれているし、少年がある意味で無知であるがゆえに無垢なるものを残しているが故にユダヤ人の少女ヤーニナやヤーニナの父親に受け容れられていくあたりも心に触れるエピソードで あるのだろうな、と思いつつ、釈然としないものが残った作品だった。 |