3月15日(木)

秒速5センチメートル

というわけで、ういさんとあわたけ師匠とともに観に行ってきました。
感想は以下へ。

第一話は、中学一年生という年齢のわりには、ふたりのモノローグのおとなっぽさにギャップを覚えまくりで、正直この先どうなることかと思いましたが、第二話、第三話とよくなっていったように感じました。個人的には第二話が一番のお気に入りです。女の子を主人公にしていた分、感情の機微が物語に奥行きを与えていたように思いました。

僕個人としては作品を評価しつつも、新海さんが表現しようとしている世界の美しさの切り取り方については賛同しかねるところがあります。あるいは僕が結婚してなくて、子どももいなくて、一人暮らしをしていたら、もう少し素直に感情をシンクロさせることができたと思うこともあるのですが、もはやそれは想像でしかないのでホントのところはよくわかりません。

僕は世界の美しさはそこに生きているひとにこそあるのだと思っています。普通に生きていて人と交わらない毎日はなく、自分が望むと望まざるとに関わらずいろんなひとと関わりを持って生きていくしかないのが現実です。そしてそれは往々にして様々な摩擦やすれ違いやストレスを生む原因となるのですが、またそこに楽しさや喜びや意外性があるのも事実です。そういうちょっとしたことが、生きていく上での大切な糧となることも現実にはたくさんにあると思うのです。でも新海さんの作品には、そういうものはあんまり出てこないような気がするんですよね。ある意味、閉じた世界しかないというか。

映画パンフレットに種子島の高校へ取材に行った話が載っていて、現地のひととの様々な出会いが作品に大きな影響を与えた話が書いてありました。ホントはここに書いてあるようなことがとっても大事なことなように思うのです。新海さん自身はそれをちゃんとわかっているからこそ、第二話の奥行き(姉のような近親者を登場させたのも初めてなんじゃないのかな)につながっているような気がするのですが、、、ちょっともったいないなと思いました。エラソーなこと言ってごめんなさいです。

3月21日(水)

秒速5センチメートル(続き)

ちょっとだけ考えが変わってきたので、書いてみる。ネタバレなので以下へ。

初見では僕の中で評価の低かった第1話だけど、何度か見直しているうちに、要するに第3話がまずあって、その回想として第1話が設定されているのだと気づいて、ようやく納得する。貴樹は桜咲く季節の踏切での偶然のすれ違いで(これホント?)、明里は結婚を控え実家で持ち物を整理する中で発見した渡せなかった手紙を見て、それぞれが同じ13歳のあの日の思い出の中で邂逅するという設定だったのですね。

そういう視点で見ると、モノローグが妙におとなっぽいのも、貴樹の情けなさがことさら強調されているのも、確かに理解できる気がします。また第1話では明里の気持ちがろくすっぽ語られず、貴樹との一夜を過ごした楽しい想い出のはずなのに、なんとも言えない表情で渡せなかった手紙とともに去り行く列車を見送るというシーンで終りを迎えるのも、第3話の状況からすれば当然の終わり方と思いました。

というか、そんなの1回観ただけじゃわからんす(w(そういや「雲のむこう」でも冒頭で過去を振り返るような構成になってますね)

そうすると今度は、お気に入りの第2話の位置づけってわからなくなってくるんだよなぁ。花苗は貴樹の過去を知らないふうなので、第1,3話とまったくクロスオーバーしてないことになるのですよね。なんでわざわざああいう話を挿入する必要があったのか謎です。

まだ第2,3話は見直していないので、また何か発見があることに期待しつつ。