Yan’s 読み記(1〜10件目)
by Yan

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著者佐藤賢一出版社中央公論新社読んだ日2004.11.27書いた日2004.11.27
感想カエサルのガリア戦記8年のうちの最後に当たる空白の時期。
ガリア人の不世出の首長だったウェルキンゲトリクス
との攻防。ガリア人とはローマの呼び方で
ヨーロッパに古代からいたケルト人のことで
部族ごとにばらばらな動きをしていて
ローマ人に征服されてしまう人々のことだ
ガリア人攻略の最後に来てカエサルは
このウェルキンゲトリクスに翻弄される。
ケルト読みではヴェルチンジェトリクス
子どものころに父を叔父に殺され、母は息子を育てるために
その身を売って暮らした。父の意志を継いで
ガリアの統一を志す彼は、精神がねじくれてはいたが
戦となれば天才的な能力を発揮して
カエサルのローマ軍団を苦しめる。
カエサルを撤退までに追い込み
ガリア人の総力をかけてその兵力の数では圧倒的だったのに
なぜ敗れ去ったのか。
そして最後は自分の身と引き換えにガリア人の安泰を願うと言う
引き際のいさぎよさ。
作者はヴェルチン側に立ってはいるが
その精神のゆがみ方が人間的ではないところに
読み手が嫌気を感じるように仕立てているように思える。
カエサルの描き方も中年のおじさん的だ
ところが、カエサルを撃つことに終始しているあいだに
自分の生きかたを見つめなおし
自分の命がガリア人全部と引き換えられると覚悟したときに
はじめて人間的に生まれ変わる
最後の引き際のよさにカエサル自身が「自分は負けた」
と感じてしまう。表題どおりにカエサルは撃たれてしまうのだ
塩野七生のローマ人の物語カエサルでは、2人の戦略が手に取るように
詳しく書かれている。ヴェルキンジェトリクスは高潔の志士として
カエサルは有能な政治家として描かれているのが相対的だ。

著者ロザムンド・ピルチャー出版社日向房読んだ日2004.6書いた日2004.6.26
感想エルフリーダ、オスカー
キャリー、サム、ルーシー
まったくの他人だった5人が
見えない糸にひかれて
スコットランドの古い家に集まり
クリスマスまでの数日を過ごすことになる
それまでのいきさつが上巻に
下巻ではそれぞれが心に持っている
苦難や悲しみを吐き出しながら
しだいに家族のように溶け合っていく
5人とも家族と死に別れたり離婚したり
親から疎外されたりして傷を持っているけれど
スコットランドのエステートハウスで
過ごすうちに、古い自己を捨て
新しい自分を見つける。
その日がまさに冬至
冬至は季節の変わり目。新しい命の再生の日だ。
5人を取り巻くスコットランドの自然、住む人の心を映す家
人々の暖かさが心に残る。
筋が通っていて前向きなエルフリーダが
家族を突然失ったオスカーを救い
自分の帰すべき家を見つけた
最後の部分が感動的だ

著者ローズマリ・サトクリフ出版社原書房読んだ日2004.1.7書いた日2004.1.13
感想ノルマン人がイギリスを征服したことを
ノルマンコンクェストというのは「ロンドン」という
大長編を読んだときに知った。
イギリスでノルマン人の征服を受けなかったのは
スコットランドと湖水地方だけだったらしい。
シールド・リングと呼ばれる盾の輪を心の中に持ち
結束してノルマン人に抵抗したのが、
ノルウェーからイギリスにやってきた
ヴァイキングの子孫たちだ。
かつては征服者だった彼らが次には征服される者になる
これは歴史の悲劇かも知れない。
湖水地方の谷の奥で一族を指揮し戦う三人の男。
族長のブーサル、アリ・クヌードソン、族長の弟でアリの養子エイキン
友好関係を結ぶためにアリがノルマン人のラルヌフ・ル・メスカンのもとに 交渉に行くのだが、相手は彼を虐殺して帰す。
それが谷に住む人の結束を強めて「シールド・リング」という
心の砦になるのだ。どんなにシールドリングの秘密を強迫されても
誰も自白しない、そういう鉄の結束。
30年間その結束を守り、最後の戦いにノルマン人を追い払う。
少数の部族で、地理を生かして敵をおとしいれる知恵を働かせたのが
ビョルンだ。竪琴弾きの養父ハイトシンから竪琴のわざを引継ぎ
「剣の歌」を歌う彼は、いるかの紋章つき指輪を引き継ぐものだった。
湖水地方というとピーターラビットの故郷で
ナショナルトラスト発祥の地。なだらかな丘とたくさんの湖の
美しい土地に荒々しくて粘りづよい戦いの歴史があったとは
おどろきだ。他者に征服されることを潔しとしない人々
自分たちの生活を守り抜こうとする人々の心。
それは土地を昔のままに守り抜こうとするナショナルトラストに
引き継がれているような気がする。
この地で飼われていた羊の毛を脱色せず
そのまま使ってヴァイキングの旗に
オオガラスの絵を刺繍する場面があったが
あれはポターさんが飼っていたハードウィック種の羊なのだろうな
と思ったし、ノルマン人を撹乱させた「どこにも行かない道」が
もしか今も残っているのかもしれないと勝手に想像している。 族長ブーサルの名前がバターメア湖の名前で 残っているというらしいから。 ビョルンが戦いの後に歌うあらたな始まりの歌。 心に砦を持ったものが引き継いでいく新しい歌 いい終わりかただ。

著者寮美千子出版社パロル舎読んだ日2003.11.28書いた日2003.11.29
感想1854年、アメリカ政府の、原住民の土地を買い上げるので
そこに住む人々は保留地へ移住するようにという申し出に
シアトル首長がアメリカ大統領に伝えるために演説をした。
シアトルと親しかったヘンリー・A・スミスが書き取り
その後いろいろな文を書き加えたり、削除したりして
いろいろなスタイルの物が存在するという
寮美千子さん編と訳のこの本は 英語と対訳つき。
原住民が大切にして愛してきた大地と自然への思いを 語り、
白人に静かに訴えている形だが
静かな語調のなかに強い意志
大地を大切にしてほしいという意志を感じることができる。
人が生きるために大事なこと
それを心の底から、体全体で知っている
ネイティブアメリカンの真実の声
感動の詩

著者イアン・ローレンス出版社理論者読んだ日2003.11.23書いた日2003.11.23
感想呪われた航海の続編
前作でレッカーと呼ばれる座礁船の略奪者から逃れてきた ジョンと父親は、
今度は密貿易集団とかかわって新しい船と積荷を 失いかける。
船の名はドラゴン号、
もとから密貿易船だったのを 父親が買い入れてジョンが船主として出航するが、
乗り込んだ船員は 船長クローの息のかかった密貿易者だった。
バクパイプの名手クロー、 海を怖がり、コルク板を体中に巻きつけたダッシャー
日暮れにバクパイプを奏でて、それにあわせてアイリッシュダンスを踊る 船員の光景だけを見て
少年ジョンは、 海の男のロマンを感じてしまうのだろう。
クローは密貿易の札付きの悪、 本来ドラゴン号の船長になるはずだったラーソンを 殺し、
彼が持っていた密貿易を暴く手帳を自分の物にしようとたくらむ。
自分こそが不正を正そう、と決意したジョンの活躍がすごい。
前作では少年だった彼が、ここでは一人前の船主として
悪者たちと正面から立ち向かっている。
密輸の現実を監視官に報告に行くために密輸者の列の中に紛れ込み、
危うく殺されそうになりながらしっかりと任務を遂げる。
そのときに敵の刃から命を救ったのがラーソンの手帳 だった、
というのがまた月並みだけどおもしろい。
最後にドラゴン号を取り返すために、
ダッシャーのコルク板を身につけて 船まで泳ぎきるところ、
船に残っていたクローと闘って 彼を首吊りにするところ・・・
怖くてゾクゾクしながらもテンポの速い展開
少年でありながら賢くこなすジョンの姿に、気持ちがすっきりした。
この後彼はインドへ航海に出るらしい
最終巻が楽しみだ。

著者スーザン・プライス出版社ポプラ社読んだ日2003.11.5書いた日2003.11.5
感想うりふたつの弟ウルフウィアードと対決し 
弟に重傷を負わせたエルフギフトが選んだ道は、
サクソンの神の加護を失うことの引き換えに弟を生き返らせることだった。
父王の遺言どおりに次の王として立ったエルフギフトは、
異母兄のアンウィンと戦をしなければならなくなる。
アンウィンの妻と子どもを殺さずに助ける場面、
ウルフウィアード の看護をする場面などでエルフの子としての 癒しの力を発揮するのだけど、
自愛に満ちたとはいえない態度だ。
この巻ではアンウィンの息子ゴッドウィンの憎しみがあらわになっている。
父を追放したエルフギフトへの憎しみ、
キリスト教を捨ててサクソンの神への信仰に戻ってしまった母への恨みがなまなましく描かれている。
サクソンの多神教がキリスト教に追われようとしている時代背景も書かれていて興味深いのだが、
ケルトのサムハインの祭りが見事にキリスト教ではハロウィン、サクソンでは イングの祝日と重なっている。
この日が アンウィンのキリスト教軍とエルフギフトの サクソン軍の休戦の日になるのだが
悪者のアンウィンは停戦協定を破って エルフギフトを殺してしまう。
殺し方のすさまじさは、クーフーリンの最期など問題外のすごさだった。
「血染めのワシを刻む」と称して、 生身の人間を斧でずたずたにするという 処刑の仕方だ。
サクソンのやり方でエルフギフトを殺したアンウィンもさすがに同盟者の 信頼を失う。
そしてサクソンの筆頭神オーディンが化身した竪琴ひきの男ウドゥによって
復活したエルフギフトに、最後に殺されてしまう。
エルフギフトの復活のシーンがまた ものすごく恐ろしい。
死者を呼び起こし 戦士として動かすというところなど ケルトの黒い大釜を思い出させる。
悪者は滅んだのに、サクソンの平和は訪れないというのが筋のようだ。
このあとで運命によって死期を定められた エルフギフトが永遠に消え去るらしい。
裏切り、復讐、死、悪、狂気
いろいろな言葉を使っても言い表せない
恐ろしい世界、人がどこかに持っているもの
それを表に出さないでいるうちは平和だ。
私たちが生きている現代がこういう時代に 移行していくような気がしてならないのだが
そんなことをほかの読者は考えるだろうか。

著者スーザン・プライス出版社ポプラ社読んだ日2003.11.3書いた日2003.11.5
感想エルフとサクソン人の王との間に生まれた私生児エルフギフト。
嫡出の息子が三人と実の 弟という王位継承者が4人もいるのに
王の遺言は「跡継ぎはエルフギフトに」だった。
前評判から私が連想したのは兄弟同士の 殺し合い、王位簒奪、復讐の嵐だったが
そのとおりの殺し合いが上巻で始まっている
嫡男のアンウィンがこの中で一番の悪役だ
弟たちを愛しているふりをしながら、
自分の 地位を脅かす者としていつかは除こうと 計略する。
手始めにエルフギフト追討に次男を差し向け、
反対にエルフギフトに次男を殺させてしまう。
三男のウルフウィアードを エルフギフトと直接対決させて瀕死の重傷を 負わせる。
エルフギフトはといえば、異界で女戦士の特訓を受けて力をつけるのだが、
サクソンの 神話を基にしていながら、ケルトの神話に よく似ているので驚いた。
まさにクーフーリンと同じだ。エルフギフトもその死ぬ時期を 神によって決められているという。
誰が王になるのか、誰が死ぬのか そういう緊迫した状態が続く物語だ。
悪者がアンウィンなのに対し、エルフギフトは
癒しの能力をもつ善人なのかと思えば
必ずしもそうでないところが理解に苦しむところだ。
その心の中に、死に行くものがいて 悲しい運命を背負っていたとしても どうということはない、
誰でも同じ運命をたどるのだ、という覚めた心を持っているからだ。
それでもうりふたつの弟ウルフウィアードと戦った後
、彼の命を救ったのは エルフギフトだ。
神の加護をこのことによって失ってしまうことを知っていながら あえてそうしたのはなぜだろうか。
きれい事、うわべの勇気や高潔さをまったく 扱っていないのが
この物語のすごいところだ
人の心の悪、汚さを見せつけられた気がした。

著者ジュマーク・ハイウォーター出版社福武書店読んだ日(N/A)書いた日2003.10.27
感想アマナの二人目の孫シトコ。 シトコは作者自身だ。飲んだくれの父、かっこつけたがりの兄、二人目の夫に 気を使ってばかりの母。二人目の父の養子になったシトコは家族であって家族でないものに囲まれて自分が何者であるのかわからなくなってしまう。インディアンであることの誇りを失い、アメリカ人としても生きることができないとなれば、それは自分喪失だ。 兄リノの転落を見て、母の死、祖母の死を経験して不死鳥のように立ち直るのかと期待していたのに、それはまったくなかった。 私自身にも待ち構えているかも知れない自己の喪失。 そういう危機と背中合わせの自分を この作品の中に見たような気がする。 第4巻はいったいどうなっていくのだろう サクセスには導かれないような気がするが シトコは自分を取り戻してほしいと願ってしまう。

著者ジュマーク・ハイウォーター出版社福武書店読んだ日(N/A)書いた日2003.10.27
感想ネイティヴアメリカンの少女アマナが 一族の滅亡をまのあたりにしたとき 狐から偉大なヴィジョンをさずかり その後、再会した一族の危機を助けながらも 女だという理由で阻害されてしまう。 狐からさずかった力で、女でありながら戦士として働くことで バッファローをしとめてきて飢えに苦しむ一族を救うアマナ 病気の姉とその夫、後にその夫がアマナの 最初の夫になるのだが、戦士として働いたがために夫を死なせたと 誤解を受けて追放されてしまう。 普通の女ではない、自分らしく男として生きたかったアマナは このことで自分を見失うことになってしまう。 森羅万象に神が宿り、それらと語ることができるネイティブアメリカンが、 ヴィジョンを持つということは偉大なことであるらしい。 目覚めているときに感じる霊力。 心の命じるままに生きることができなくなったとき、 人は人でなくなるのだと思った。 アマナはこの後どうなるのだろう。

著者ジュマーク・ハイウォーター出版社福武書店読んだ日(N/A)書いた日2003.10.27
感想伝説の日々から、一族のものに疎外されたアマナは貧困の中で アマリアと出会い、人生を好転させる。 とはいっても何とか食べて生活していくだけで、 民族の誇りを捨てなければならず、 偉大なヴィジョンも力を失ってしまった。 カナダのフランス人の商人ジャン・ピエールと結婚して 子どもを授かるのだが、二度目の夫は妻を捨てて故郷へ戻ってしまう。 ネイティヴアメリカンの迫害の歴史が ここにも描かれているのだが、 彼女の場合はくじけずに立ち上がる強い女 という感じではない。 自分自身として生きられない悲しみを持ち、かつて一族の中で生きてきた 誇りある自分に戻りたい、 そういう懐古的な姿がある。 娘を産んで、育てるときも、 最初の孫が生まれて育てるときも 彼女の生きてきた道とは違う方向へ 子どもたちが育ってしまうことに悲しみを 感じているのだ。 そういうアマナがやっと自分として 生きることを感じさせたものは 二人目の孫シトコだった。 アマナはインディアン保留地に行って 仕事で旅回りをする両親に代わって 孫の養育をする。 一族のものではないが 同じネイティヴに触れて生活するうちに アマナの心は誇りを取り戻していく。 ここまで読んで誇りを持って生きること 自分自身として生きることの大切さ 難しさを知ることができた。

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Yan
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